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キャスト・スタッフ
「アカルイミライ」をサクっと解説
ライター/ジョセフ
作品概要
監督黒沢清は何を危惧しているのか。
若者の心か、老人の孤独か。
2003年公開のこの映画は最近やっとメディアが取り上げ始めた非正規雇用の問題や格差社会、若年者による凶悪犯罪などの先取りした内容だったのではないか。
若者2人を演じたのは、「メゾンドヒミコ」や「トウキョウタワーオカンと僕と時々オトン」で見事に存在感のある主演ぶりを魅せてくれたオダギリジョーと黒沢清作品「岸辺の旅」でも主演を果たすこととなる浅野忠信。
若かりし頃のオダギリジョーと浅野忠信が黒沢清監督が描く狂気の世界で何を体現してくれたのか。
あらすじ
東京のおしぼり工場でアルバイトとして働く仁村雄二(オダギリジョー)は夢も責任もない生活を送っている。
雄二にとって唯一の友人である有田守(浅野忠信)。
雄二と守はおしぼり工場の社長(笹野高史)から娘の机を自宅まで運んでほしいと頼まれる。
それ以降なぜか2人のことを気にかける社長だったが、雄二にはそれが耐えられない。
ある日有田の家で怠惰に過ごしていると、寿司を片手に社長が訪ねてくる。
有田が飼育している猛毒をもつアカクラゲの水槽に手を入れる社長を静止しようと声を出す雄二のことを有田は止める。
後日アカクラゲの事を問いただされた有田は、会社を辞めて失踪してしまう。
アカクラゲの飼育を雄二に託し姿を消した有田は大事件を起こし逮捕される。
そして獄中死した有田の父親増田(藤竜也)と雄二との交流が始める。
リサイクルショップを営む増田もまた社会とは遮断された生活を送っているが、雄二との生活を愛おしみ、雄二から息子を感じようとする。
下水に放ったアカクラゲを繁殖させるためにエサを作り川に流す日々が続く中、雄二と増田は口論になり、雄二は増田の元を去る。
墜ちていく雄二に、彼が夢見るような「アカルイミライ」は訪れるのか。
正気のない世界
この作品のすごいところは少しづつ異なる狂気が入り乱れているところで、正気の象徴が見えてこない。
おそらく、人の目は正気を探してしまう。
正気の象徴を探し、その対比として主人公たちの狂気を理解しようとする。
しかし、正気を感じられないまま物語が進むと、そんなものこの世には存在しないのかもしれないと感じてきてしまう。
自分の狂気がどこに存在するのかを確認する作業に突入する。
お互い寄り添っていたかのような雄二と守もよく聞いていると全く話が噛み合っていない。
おしぼり工場で働く2人の姿からは「無」しか伝わってこず、いつ爆発するか分からないマグマのような狂気が伝わってくる。
その食い違った会話でしか居場所を見つけられない2人をただの社会の腐敗の象徴として受け取れない。
その反対側に正気があることを確信できない以上、こちら側が正気であちら側が狂気などといった尺度は意味がない。
狂気に吸い込まれていく感覚こそが、この映画を見るうえで重要な尺度となる。
オダギリジョーと浅野忠信
動作と静止のちぐはぐさを気持ち悪く演じてくれている。
工場での流れてくる空箱を待つオダギリジョーの演技というか佇まいは空虚感を際限なく表現されている。
初主演によくこの映画を選んだとも思えるし、黒沢清監督がよく彼を見つけたとも思う。
この作品に出たことがオダギリジョーのその後の名作に影響を与え続けていると私は確信している。
そして私は、今作が浅野忠信の代表作なのではないかと秘かに思っている。
コメディ的要素のある作品にも、人情色の濃い作品にも引っ張りだこである映画俳優、浅野忠信の言葉を飛ばさない話し方で見せる闇の世界は浅野独特の手法なのではないか。
浅野のすごいところは、彼が残虐なことをするシーンは作中映し出されていないのに、有田の残虐性や非情性が手にとるように伝わってくるところだ。
若かりし2人の実力を目の当たりにする作品であることは間違いない。
演技もさることながら、2人にしか着こなせないであろうファッションに惚れ惚れしてしまう。
ダメージも過ぎるだろうという程に破れたジャケットと裂けたジーンズを着こなすのはオダギリジョーだ。
柄パンに柄シャツ合わせのうるさ過ぎる程の全身オーラを漂わせるのが浅野忠信。
分かりづらい映画はちょっと苦手と思う人は、2人のそれぞれ違うファッションを着こなす格好良さ目当てに観てもいいかもしれない。
絶妙な色彩
モノクロ映画なのではと途中何度か錯覚するほどに濃淡が意識されている映像だ。
白というほどの白でもなく、黒といえるほど強い黒もない。
すべてがグレーの濃淡で輪郭がぼんやりしたイメージだ。
それでも実際はモノクロ映画ではないのだから、色彩もある。
私の中に残った色は、守の父親である増田が自分と雄二のために作る弁当に入れた鮭のピンク色と闇の川の中に連なる発行したアカクラゲの金色だ。
焼鮭のピンク色は、増田が望む他者との関わりとそれを実感できている象徴の色に感じた。
養子縁組の書類を役所に取りに行った増田が帰宅したときに屋根のアンテナを破壊している雄二を見た場面から全く色彩を感じなかった事との強烈な対比。
期待と挫折。
希望と裏切り。
この映画はこの繰り返しを私達に小刻みに与え続ける。
おそらく、アカクラゲの放つ金色の光に何かしらの意味を求めようとする人が多いのではないか。
海水に生息するはずのアカクラゲが淡水である河川を不気味な光を放ちながら浮遊する様は、当然何かを暗示しているに違いないと思うはずだ。
クラゲたちが海に向かい彷徨い流れていくのは、河川でも息こそあるが、その息苦しさを感じる。
息苦しさが分かるのに、光り輝くアカクラゲの大群に、思わず「もういいから、分かったから」と心の中で叫んでしまった。
クラゲと高校生
有田と口論になった雄二は妹の恋人が勤める会社で雑用係として勤めることになるのだが、知り合ったばかりの高校生とその会社に盗みに入る。
逮捕される高校生を横目に逃げ切った雄二。
そこで、大量発生したクラゲが駆除された事を思い出す。
高校生たちが河川を浮遊するクラゲにみえてくる。
雄二は駆除すらしてもらえずに、真水が肌に合うのか海水のほうが生きやすいのかすら分からないでいるように苦しさが伝わってくる。
この映画の最後、群れを作って歩く高校生のシーンで終わる。
逃げた雄二を恨むでもなく懐かしむような雑談の後、ひたすら東京の街を歩く高校生たち。
駆除されてもまたどこからとなく発生してくるクラゲの象徴のように、浮遊する高校生で映画が終わるのは、あまりに観る観客側に期待し過ぎではないかと思ってしまうと同時に、期待されている事を嬉しくも思う。
現れる有田の幽霊
ちょいちょい有田の父親が営むリサイクルショップに有田守の幽霊が現れる。
これがかなり不気味なのだ。
雄二と父親との関係に嫉妬しているのか、ただ2人の事を見守っているだけなのか。
無表情にも薄ら笑いをしているようにも見えるその顔に恐怖を感じてしまう。
ホラー映画を得意とする黒沢清監督ならではの演出だが、その不気味な存在感はこの映画を見る者に恐怖心を植え付けることに大成功している。
父親が息子の幽霊に「ずっといていいんだぞ」と言葉をかけた時には身震いが起こった。
まとめ
恐怖や狂気の対象をどこに置いて見ればよいのか分からない。
幽霊が出てくる怖い映画だからホラー映画なのかというと、そこまで恐怖を煽ってくるわけでもない。
孤独な若者の凶悪犯罪を描いた社会派作品かと言われても、そこまでそこが掘り下げられた内容ではない。
あえて言うなら、恋愛の要素が全くないのがこの映画の特徴だ。
だからこの映画を一言で表すとしたら、「恋愛映画ではないのは確かだ」としか言いようがないかもしれない。
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