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キャスト・スタッフ
「ブルーに生まれついて」をサクっと解説
ライター/東一葉
作品概要
甘い声と甘く端正な顔立ちでジャズ界のアイドルとして時代の寵児としてもてはやされた、チェット・ベイカーの半生を描いた映画である。
2015年にトロント国際映画祭で上映され、2016年に日本でも東京国際映画祭で上映された。
チェット・ベイカーを演じたのは、「ガタカ」や「ビフォーア」シリーズで日本でも人気の高いイーサン・ホークだ。
迷える音楽家を6ヶ月のトランペットの猛特訓を経て演じたイーサン・ホークの評価を更に上げた作品であることに間違いない。
あらすじ
ヨーロッパの刑務所で目覚めるチェット・ベイカー(イーサン・ホーク)は床に無造作に置かれたトランペットの中から毒蜘蛛が這って出てくるのを目にする。
ヘロイン中毒による幻覚である。
ヨーロッパの各国から退去命令が出て、アメリカで再起をかけて自身の伝記映画へ出演をするも、撮影の最中、ドラッグ絡みのトラブルで前歯を折る怪我を負ってしまう。
トランペッターとしての再生は不可能と誰もが疑わなかったが、映画で共演していたジェーン(カルメン・イジョゴ)だけは彼を信じた。
しかし、オクラホマにあるチェットの実家に連れ立って行っても、黒人であるジェーンは歓迎してもらえない。
ジェーンの家族に紹介しても薬物中毒者であることが世間に知れ渡っているチェットは受け入れられるはずもない。
ガソリンスタンドで働くチェットはやっと入れ歯を手に入れ、トランペットを吹けるようになる。
ピザ店で演奏しながら、昔のつてを辿り、仕事を得ようとする。
ただし条件がある。
ドラッグにクリーンで有ることだ。
ジェーンの助けを借りながら、ジェーンの車で生活し、ドラッグへの誘惑を断っていく。
ニューヨークにあるジャズの聖地と呼ばれるバードランドで演奏するチャンスを手にしたチェットは、トランペッターとして復活することができるのか。
ジェーンの想いはチェットを変えることができたのか。
弱さという魅力
チェット・ベイカーはその実力と魅力を持ちながら、なぜドラッグという悪魔から立ち直ることができなかったのか。
1950年代初頭、甘い声と端正な顔立ちでジャズ界の人気トップの地位を得ることになる。
しかし50年代後半からヘロイン中毒となり、アメリカにいられなくなりヨーロッパに渡る。
しかし、収監されたチェットはヨーロッパでも居場所がなくなってしまうのだ。その時代からスタートする映画は、チェットの栄枯盛衰ではなく、「枯から衰へ」と向かう破滅の物語だ。
回想シーンでかろうじて映し出される栄と盛の部分は、むしろ映画に虚しさをもたらす。
映画冒頭のバードランドでのチェットの姿は、色気を漂わせ、自信に満ちている。
ところが、服役と致命的な怪我を負った後に並々ならぬ思いで挑んだレコーディングでの緊張状態にあるチェットの方が、魅力的なのだ。
ここにこそ、チェットの危うい「弱さ」という魅力が表現されている。
このレコーディングで奏でられた「マイ・ファニー・バレンタイン」での歌声と音色はジャズに詳しくない観客の心をも奪ってしまうものだった。
ジャズ界の人種的劣等感
チェット・ベイカーは白人である。
今作には他の実在のジャズマンたちが登場する。
中でも純粋に彼の音楽に共感したのはジャズ界の帝王と崇められているマイルス・デイビスだ。
マイルスは黒人である。
ジャズがアフリカ系の民族音楽の流れを大きく組み込まれたものであることから、チェットが白人であることに対する人種的な差別とまではいかないが嘲笑されるようなシーンが描かれている。
黒人である恋人を連れ立った実家での父親からの彼女への辛辣な言葉。
彼女の家での白人は信用ならないという歴史へのわだかまり。
そしてジャズ界での黒人優位の世界観。
チェットはただ痛いほどに音楽を愛し音楽に愛されたかっただけなのに、黒人社会であるジャズの世界にストレスがあったのではないか。
そのプレッシャーからなのか、ヘロイン中毒から立ち直れない。
人種なんてまるで気にしていないのに、黒人社会でも白人社会でも居場所を見つけられない、そしてヘロインに溺れて音楽という居場所からも見捨てられていく様は、ただ吹かせてあげたいしただ歌わせてあげたい。
ジェーンと同じような母性が観客にも生まれてくる。
ジリジリとした哀れみと対峙できる作品であることに間違いはない。
イーサン・ホークが請け負ったもの
今作で主演のイーサン・ホークが請け負ったものの大きさは計り知れない。
それほどにイーサン・ホークの名演が光るものだった。
悩む演技はお手のもの。
歳を重ねるごとに増した艶っぽさも加わっている。
チェット・ベイカーという弱く、しかし愛おしいジャズマンの半生を表現するのにはイーサン・ホークの存在なしでは不可能であっただろう。
顔も体型もチェットとは似ていないのに、スクリーンの中にはチェット・ベイカーがいた。
イーサン・ホークは薬物への嫌悪感を持ちながらも、アーティストとして認められたいというチェットの真の姿を演じている。
生前決して認めらることのなかったゴッホのように、チェット・ベイカーが犯し続けた薬物摂取の事実が過去のものとして引き離される事で、チェット・ベイカーの奏でる素晴らしい音楽が認められていく。
イーサン・ホークが様々な事を深慮し、壊れやすいガラス細工を扱うように丁寧に、チェットを演じている。
知性溢れるイーサンだからこそ演じられたチェットがスクリーンに写しだられている。
愛の物語
楽曲の素晴らしさとチェット・ベイカーの破滅的な人生に目が行きがちな映画だが、実はチェットとジェーンの愛の物語でもある。
ヨーロッパの刑務所から出てアメリカに戻ったチェットと出会い、その後薬物にクリーンである事を助け続けたジェーンの献身は切ない限りだ。
チェットの才能を疑わず、彼が抱える痛みと弱さを抱きしめる事をやめなかったジェーンの望みはただ一つ、「クリーンな状態での彼の音楽」だったはずだ。
自分の車での手狭な生活を強いられながらも、ピザ店で演奏する彼の元に囁かれる悪魔の声に目を光らせる。
女優としての自分の夢とチェットにかけた再起の夢。
この映画はチェットという伝記の物語であると同時にジェーンという一人の女性の深い愛の物語なのだ。
バードランドで再起をかけたステージを行うチェットが薬物を使用したのかどうか、分かってはいるのにジェーンのためにどうか今回だけはクリーンな状態であってほしいと祈ってしまったラストシーン。
歌いながら顔を触る仕草でヘロインを使ったことがわかってしまうそのシーンは恋愛映画のように切なく、胸を打つ。
ジェーンがプロデューサーに結婚指輪を託し、放った言葉。
「私を憐れまないで」という言葉。
恋愛とはそんなものなのだろうけれど、尽くしても報われなかったジェーンの後ろ姿は忘れられない。
楽曲
伝説のトランペッターの物語なのだから、素晴らしい楽曲が使われることは当然だ。
しかし、無駄遣いがないといったほうが良いだろうか。
大切な場面で宝物のように披露されるトランペットの音色と歌声に酔いしれてしまう。
レコーディングでジェーンを見つめながら歌い上げられる「マイ・ファニー・バレンタイン」の甘さ。
甘すぎると苦しいのだ、と勝手に心苦しさを味わってしまった観客は多いはずだ。
歌詞の素晴らしさに加えて、イーサン・ホークの佇まいから、「酔いしれる」という言葉を体感できる。
その名演奏からバードランドでのステージへとチャンスを得ることになるチェットは、駆けつけたジェーンの前でヘロインを使用した状態で「born to be blue」を奏でる。
捨ててもらって構わないと言わんばかりの痛々しい演奏と歌声に、疑問符とともに耳に残る旋律がそこにあった。
チェットにヘロインを断つ強さがあったら、この音楽を聴く事ができなかったのだろうか。
まとめ
ジャズに明るくない人がジャズに興味を持つきっかけになってくれれば嬉しいと思うし、ヘロイン中毒だったチェット・ベイカーに嫌悪感を持っていた人に彼の音楽性を純粋に感じてもらえたらとも思う。
音楽という名の芸術に浸りたい、そんな思いで観てもらってもいい。
あくまで映画の物語。
しかし、チェット・ベイカーというトランペッターが生きていたという事を知ってもらいたい。
みんなのレビュー
「ブルーに生まれついて」を
布教しちゃってください!
1950年代半ば。誰もが黒人のジャズに魅了されたこの時代で一際注目を集める白人の男がいた。名はチェット・ベイカー。マイルス・デイヴィスやディジー・ガレスピーの巨人達を前にしても絶頂の人気があった。しかしある夜、ドラッグ絡みのトラブルに遭い前歯を失ってしまう。ドラッグは彼に最高の演奏をさせたが長生きはさせてくれなかった。周りから見放され絶望に落ちたそんな中、彼を救ったのは黒人女性の愛であった。復活を誓う彼は巨人達を前にして生まれ変われるのだろうか。どうしようもないが何故か憎めない男の選んだ道とは。